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社長対談

第5回

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第5回 MDS ―この病気を何としても治るようにしたい― まさか!なんで自分がこんな病気に?うそだろう(MDS(骨髄異形成症候群)連絡会 代表:星崎達雄 様)

星崎さんはMDS(骨髄異形成症候群)連絡会の代表として、忙しい日々を過ごしています。MDSは血液細胞がんの一種とされる難治性の疾患で、日本の患者数は約9,000人とされています。主な初期症状が貧血であるため、MDSと気づかずに疾患を抱えている潜在的な患者も多いとみられ、今後の医療の進歩と高齢化の進展によって患者数はさらに増えると予想されています。これまで移植しか完全治癒の方法はないと言われていたMDSの世界に、いま何が起きているのか、患者会はどのような活動をしているのか、2回にわたって星崎さんからお伺いします。

めまい、息切れ、脱力感
吉田
MDS (骨髄異形成症候群)は、血液疾患の中でも特に治療法の解明や対応が遅れているようですね。
星崎
MDSはいくつかの病気の集りで、原因はよく分かっていませんが、20~30%の患者さんが白血病に移行する難治性の疾患です。治療方法としては、白血病への移行のリスクを考えながら輸血や化学療法などで経過観察を行なうか、根治療法として造血幹細胞移植があるだけです。
血液細胞のがんの一種とされており、初めは自覚症状がありませんが、次第に、めまい、息切れ、脱力感、疲れやすいなどの症状が現れます。貧血の症状が出るのは、MDSが造血幹細胞の遺伝子異常なので、赤血球や白血球、血小板などの数が減るからです。
日本の患者数は、平成20年の厚生労働省調べでは約9,000人と発表されていますが、実際にはその1.5倍くらいはいるのではないかとの予測もあります。高齢者に多く、高齢化とともに患者数は増加の傾向にあります。
吉田
初めは自覚症状がないということですが、星崎さんはどのようにして病気を知ったのですか。
星崎
たまたまでした。
私の母が30年前に胃がん・食道がんになり、医者に連れて行ったときには手遅れでした。万が一の望みがあるならと手術をしたのですが、結局だめでした。手術後1ヵ月入院している間に毎日1リットルの輸血をしていたので、お返しの気持ちもあって自分が元気なうちにと献血をしていました。
血の気が多かったせいか続けられていたのですが、病気を告知される半年ほど前に予備検査でヘモグロビン濃度が基準より低いので、今回は献血できませんと言われました。1ヵ月後、改めて献血をしようとしたら値がさらに下がっていました。
2回続けて基準値を下回ったので、念のため病院で調べることにしました。最初は消化器系からの出血を疑い、胃カメラを飲んだりしましたが問題はなく、血液のほうかもしれないということで血液検査もしました。しかし、骨髄液の脂肪分が多くなっていないので急激に悪くなることはないだろうということで、経過観察することにしました。骨髄の造血能力が低下すると血球が減少し、骨髄が脂肪細胞に置き換えられるのです。ところが3ヵ月後くらいにヘモグロビン濃度がさらに下がって貧血の症状が出て、それまで電車で座りたいと思ったことなどがなかったのですが、座りたいと思うようになりました。
吉田
そこでMDSを疑われたのですね。
星崎
はい。ただ、最初はMDSとされたものの、しばらくして血液内科の先生が書かれた論文を主治医が読んで、MDSと見立てたけれど赤芽球癆(せきがきゅうろう)かもしれないということになりました。私の赤芽球癆は、リンパ球が増えすぎて自己免疫異常を起こし、赤血球の成長を妨げるタイプということでした。この病気だとするなら免疫抑制剤がよく効くケースが多いので、しばらく飲んで様子を見ようということになりました。私が61歳になる直前でしたが、飲み始めて3ヵ月後には主治医も驚くほど効果が出ました。
吉田
診断が当たったわけですね。
星崎
ヘモグロビン濃度も回復しましたし、赤血球も戻りました。
吉田
それは本当によかったですね。
星崎
そのかわり、免疫抑制剤の影響なのか白血球が減りました。でも、特別な治療が必要な状態ではないので、免疫抑制剤を継続しながら経過観察をしているところです。赤血球は酸素を全身に運ぶので、少なくなると息切れなどの症状が強く出ます。そのため激しい運動はできませんが、普通のペースでウォーキングくらいの軽い運動であれば、たいした息切れすることもなくできます。
吉田
主治医の先生が、赤芽球癆の論文を目にされたことは幸いでしたね。
星崎
MDSも患者の少ない病気ですが、赤芽球癆はそれに比べてさらに一桁少なく症例もあまりないので、この先どうなるかはよく分かりません。